福原有信(Arinobu Fukuhara)

 
 
参考文献
https://corp.shiseido.com/jp/company/history/founders/
https://corp.shiseido.com/jp/company/history/
 


 

プロフィール

 
 
江戸時代末期の1848年生まれ。
千葉の房総半島で生まれ育ったのち、江戸に出て薬学を学んだ。
 
そして創業直前の時点では海軍病院での薬局長を経験。
 
しかし、当時の日本では粗悪な薬品が出回る状態であった中、
若干24歳だった1872年(明治5年)、
医薬分業の実践・そして人火度に良い薬を届けるという事を目指して
日本国初めての民間洋風調剤薬局「資生堂」を東京・銀座で開業。
 
なお資生堂とは中国の某古典の中の「萬物資生」という文字に由来する。
 
高品質な薬品を揃える事・適正価格で販売する事にこだわっていたため、
創業当時は経営が苦しかった模様ながらそれを乗り越え、
1888年には日本初の練り歯磨きを販売、
1897年には化粧水商品を通じてコスメ事業に進出するなど事業を多角化。
 
1900年年代に入ると欧米視察を経て現地のおしゃれなものを紹介するため、
現地から様々な商品を輸入して店に並べてハイカラ(西洋風)の雰囲気を作り上げ、今日の資生堂の上品なイメージの基礎を作り上げる。
 
1910年代に入るとアメリカのコロンビア大学で薬学を学んだのち帰国した
息子の福原信三に経営をバトンタッチ。
その息子は本格的に化粧品事業に参入する事を決め、
1916年には薬局としての資生堂の近所に化粧品部を開店すると共に試験室を設置。
(この試験室は、のちに資生堂リサーチセンターへと発展)
 
 
大正13年(1924年)、息子によって発展していく資生堂を見届けながら70代半ばで死去。
 
 

死後の資生堂

 
死後の1927年、息子の信三は資生堂を株式会社化させ、
株式会社資生堂の初代社長に就任。
 
その息子によって会社は大きく発展して創業者と並ぶ功労者に。
 
なお、有信から見ると孫にあたる
福原義春は1953年に資生堂へ入社したのち1987年からは10年間社長を務め、その後も会長・名誉会長を務めた。
(2023年秋に92歳で死去)
 
 
 

関連映像

 
夢をみるちから 二人のイノベーター|資生堂公式チャンネル

 
 


 
関連人物
福原信三
 
 
 
 
 

 

 
 
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