富川栄(Sakae Tomikawa)

 
参考文献
資生堂SABFA公式サイト
https://sabfa.shiseido.co.jp/school/lecturers/
映画「氷の花火」公式サイト
http://yamaguchisayoko.com/
 


 
顔写真

 
 

初期キャリア/2000年代半ばまで

 

 
 
 
資生堂美容学校を卒業したのち、
1971年に資生堂入社。
 
1978年からはパリコレや東京コレクションのモデルメイクの仕事に関わるようになり、
1970年代前半からパリコレのトップモデルとして活躍する山口小夜子の、
資生堂広告の仕事やショーの付箋の仕事などに関するメイクを担当。
 
そして、本当はパッチリした大きな瞳をしているという小夜子と共に
独特な「切れ長メイク(通称;小夜子メイク)」を二人三脚で作り上げていき、
小夜子にとって必要不可欠な絶対的パートナーに。
 
その山口小夜子は1985年にパリコレから引退、
1986年には13年間続いた資生堂とのCM契約も終了。
 
その後、資生堂の化粧品ビジネスの分野では1990年に
「クレ・ド・ポー・ボーテ」という新ブランドの立ち上げに参画。
 
一方、1990年代には三宅一生・山本耀司をはじめとする
世界的日本人デザイナーに関するメイクの仕事も経験。
 
 
 

小夜子の死去後、生き証人として脚光を浴びる

 
 
2007年夏、長年のパートナー、山口小夜子の死を経験。
 
2009年から2011年までは昭和女子大学の講師として活動。
 
2010年、トルコのイスタンブールで開催された
森英恵オートクチュールショーのメイクを担当。
 
2011年からは資生堂が運営するヘア&メイクスクール
「SABFA(SHISEIDO Academy of Beauty&Fashion)」の6代目校長に就任。
 
2015年には山口小夜子の伝記的な映画
「氷の花火 山口小夜子」にキャストとして高田賢三・丸山敬太などの関係者と共に出演。
(女優として演技をしているわけではない)
 
また、BS JAPAN「ファッション通信」で山口小夜子の特集が組まれた際は
彼女の側近として番組に登場し、小夜子との貴重な思い出話を披露。
 
その他、小夜子が神格化されていく中で一番関係が深い関係者として
様々なメディアに登場し、2010年代以降、その名を幅広く知られるようになる。
 
 
2018年、SABFAの校長職を若手に引き継いで退任し、
それ以降はフリーの立場でヘアメイク活動や教育活動に従事。
また、退任後(2022年現在)もSABFAの特別講師として活動。
 
 
日本のヘア&メイクアップアーティスト界の神様/リビングレジェンド的な存在。
 
 
 
 

関連映像

 
 
日経新聞公式チャンネル
現代によみがえるトップモデル・山口小夜子
(富川氏が小夜子の功績などを語るほか、若手モデルに小夜子メイクを実際に施す貴重な映像)

 
 
 


 
 
関連人物の詳しいプロフィール
山口小夜子
 
 
 
 

 

 
 
服飾/美容系業界人メニュー
 
[各分野の業界人]

 
 
[社長/経営者系]

 
 
 
サイト内検索窓↓
(飛びたいページに即飛べます)

 
業界人必読(無料サンプル号あり)


Fujisan.co.jp:WWD JAPAN

 


 

digital-zasshi.jpトップページに戻る