養蚕秘録(ようさんひろく)

 
 
参考文献
兵庫県養父市公式サイト
https://www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/kyoiku_somu/kinenkan/2/2544.html
https://www.city.yabu.hyogo.jp/soshiki/kyoikuiinkai/shakaikyoiku/1/1/2185.html
 


 
 
 

「養蚕秘録」の概要・著者・特徴

 
「養蚕秘録」とは
江戸時代中期にあたる1753年に、
現在の兵庫県の山岳エリアで農業を営む家系に生まれた
上垣守国(うえがき・もりくに)という人物が発表した養蚕技術書。
 
初心者向けの養蚕(シルク糸を生み出すカイコの飼育)のガイドブックにあたるもの。
 
文章だけで構成されているわけではなく
江戸時代当時の日本における識字率は今ほどではなく
貧しい農民の中には文字を読めない人も存在した中、
そういった人々の事も考慮して、挿絵(図)がたくさん用いられて読みやすい事が特徴とされる。
 
 
 
 

養蚕秘録の歴史(出版前/出版後)

 
江戸時代の初めの時期、
上流階級の女性達が着る華やかな和服の原料となる生糸(精練されていない蚕の糸)は中国やオランダといった貿易国からの輸入に頼りきりであった。
 
しかし、それだと代金として提供していた
日本の宝である金や銀がどんどん海外に流出していってしまうという大きな問題に直面。
 
そんな中、江戸(徳川)幕府の第6代将軍の側近であった
新井白石という儒学者が問題解決を任され、
国は1710年代に長崎での生糸に関する貿易を大場に制限する策に出る。
そして生糸の国内生産に努めていった。
 
そういった18世紀(1700年代)の時代背景があった中、
1753年に但馬の国(現在の兵庫県北部エリア)で誕生した
上垣守国はまだ未成年だった1970年代初頭から但馬を出て
買い付けと情報収集・技術習得のために全国の生糸産地を巡る生活をスタート。
 
あらかじめ生糸の良質な生産地を知っていたわけではなく
ゆく先々で現地の人から情報収集するという地道な方法で
次なる行き先を決めて知識・技術を高めていき、
但馬に戻ってから現地の養蚕業の発展に大きく寄与。
 
そして、40代後半だった1802年に挿絵をふんだんに盛り込んだ
わかりやすくて実用的な養蚕指南/技術書「養蚕秘録」を世に発表した。
 
故郷である但馬だけでこのテキストを流通させ、
地元だけを養蚕業で発展させて他の地域との差を広げる事も出来たが、
全国の貧しい農家をなんとか養蚕業で豊かにしてあげたい、
という信念をもっていた彼を地元だけで流通させるのではなく、全国各地に広めていった。
 
そして、この書物が大きな力となり、江戸時代末期に日本全体の養蚕業は大きく発展。
 
 

海外ても翻訳版が出版される

 
 
養蚕秘録の完成度の高さは、医者として江戸時代後期に来日した
ドイツ人・シーボルトも完成度の高さに感嘆し、彼はヨーロッパに養蚕秘録を持ち帰った。
 
その後、1840年代にフランス政府が養蚕秘録のフランス語翻訳版を発行したほか、イタリア語版も出版され、日本のみならず欧州圏での養蚕業発展に貢献。
 
日本でも歴史的ロングセラー本となり、
養父市のホームページによると1802年から著者の亡くなった1808年を超え、
明治20年(1887年)まで、なんと85年に渡って出版され続けていたという。
 
 
ちなみに国立国会図書館のデジタルライブラリーにて
現代の人々も「養蚕秘録」の本物をデジタル版で無料閲覧する事が可能。
 
 
デジタル版上巻
https://dl.ndl.go.jp/pid/841527
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 


 
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