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石本藤雄(Fujiwo Ishimoto)

 
参考文献
マリメッコ公式サイト
https://www.marimekko.jp/the-brand/designers/fujiwo-ishimoto
石本藤雄展公式サイト
https://www.fujiwo-ishimoto.com/
 


 

生年月日

1941年生まれ

出身地

愛媛県

主審大学/学歴

東京藝術大学

マリメッコ在籍期間

1974-2006

評価

一足先にマリメッコ入りした脇坂克二氏と並び、歴史的に最も世界的に活躍したテキスタイル系デザイナー

服飾デザインの世界で例えるならば高田賢三・三宅一生・山本耀司などに近い存在。

 
顔写真

 

生い立ち/初期キャリア

 
1941年生まれ。
愛媛県中央部の砥部町出身。
 
ミカンの生産で有名な県内にて、ミカン農家の息子として育つ。
一方で生まれ育った砥部町と「砥部焼」という焼き物が大きな産業となっている地域で、
幼少期から焼き物を身近に感じながら育った。
 
上京して東京藝術大学の美術学部工芸科を卒業すると、
同大学出身の世界的な衣装デザイナー・石岡瑛子氏のすすめで某繊維問屋に就職。
(20代の頃は北欧ファブリックのクオリティの高さに度々関心させられていた)
 
この会社で活躍する中、1970年代に突入すると、
30歳を前にして会社を辞め、退職金を頼りに世界一周の旅に出る事を決める。
 
アメリカ西海岸から東海岸に進み、その後はヨーロッパへと渡る。
そんな中、北欧のデンマーク・コペンハーゲンにて
同じく北欧のフィンランドを拠点とするマリメッコのきれいな生地をみる機会があり、
このブランドのデザイナーになれないかと考えだすようになった。
 
 

1974年にマリメッコ入り

 
行動力の高い石本氏は行き先を変更してフィンランドに向かい、
自分の作品集をもってマリメッコ創業者のアルミ・ラティアに入社を直談判する。
 
その時点でマリメッコ本社にいきなり入る事は叶わなかったが、
なんとか系列会社で働きだす事に成功し、
世界一周旅行の資金が尽きてきた中、日本に戻る事なく北欧に留まる事も出来るようになった。
 
しかし彼のマリメッコ本社でデザイナーとして活動したいという熱意は揺らぐ事なく、
度々トライを繰り返し、33歳を迎える1974年にようやくマリメッコのデザイナーになる夢を叶える。
 
就職後、愛媛の自然豊かな環境下で育った彼は、
大自然をインスピレーションソースとして
草創期のマリメッコには欠かせない主要デザイナーの1人として活躍。
 
彼にマリメッコ入りのチャンスをくれた創業者、
アルミ・ラティアが1979年に亡くなってからも
1980年に所要デザイナーとして大活躍し続けた。
 
 

1990年代以降

 
1990年後の時期にはフィンランドの陶器メーカー「アラビア」に出向し、
焼き物の街で生まれ育った彼は陶芸家としての活動も本格的にスタートさせる。
 
その後、マリメッコ社に復帰してからもアラビアでの陶芸家生活も続け、
1990年代以降はテキスタイルデザイナー/陶芸家両面の顔をもつようになる。
 
65歳を迎える2006年にマリメッコから完全に離脱するが、
公式サイトによると、マリメッコにおける32年間のキャリアの中で
実に400に及ぶ柄をてがけてきたという。
 
マリメッコでのキャリアを終えたのち、
近年は日本を拠点として陶芸の仕事や店舗プロデュースなどの仕事に従事。
 
 
2018年から2019年にかけては「石本藤雄展―マリメッコの花から陶の実へ―」が故郷・砥部町内のの砥部町文化会館や東京都心などで開催された。
 
 
 

 
 


 
関連人物
アルミ・ラティア・・・・・マリメッコの創業デザイナー
 
 
 

 

 
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