パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)
参考文献
クリスチャン・ディオール公式サイト
生年月日 | 1881年生まれ |
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没年 | 1973年 |
出身 | スペイン |
娘 | パロマ・ピカソ |
1880年代から1890年代
スペイン南部に位置する地中海沿いの都市・マラガにて1881年に誕生。
父親は美術教師をしていた人物で、
親の転勤により、スペインの大きな都市を転々とする少年時代であった。
1900年代に入ってパリへ
20世紀(1900年代)に入って20歳前後の頃に画家としてのキャリアをスタート。
そして、何度かスペインの隣国であるフランスのパリを訪問するようになり、
1904年からはパリに定住して現地の芸術家と交流しはじめた。
1907年頃からは、ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)というフランスの画家と共に「キュビズム」という芸術運動をおこす。
1920年代半ばからは「シュールレアリズム」の影響を受け、
日本でも有名な絵の雰囲気として知られるデフォルメ系の作風へと移行。
パリにおけるトップデザイナー達との付き合い
仕事の領域が拡大していく中、
1920年代にはCHANEL創業者のガブリエル・シャネルと
舞台に関する仕事を共にする機会も起こった。
また、DIOR創業者のクリスチャン・ディオール氏が
画廊経営の仕事をしていた頃には画廊で、
同郷のダリやジャコメッティの作品と共にピカソの作品を扱っていた頃もあり。
(1929年の世界大恐慌により、ディオール氏の画廊経営は行き詰る)
その他、マノロ・ブラニク氏とダイアナ・ヴリーランド(VOGUE編集長)をつなぎ、
マノロ氏のキャリア形成にも大きく貢献。
第二次世界大戦以降/1973年の死
終戦後は共産党入り、一時期政治家として活動。
その頃の作品には戦争を題材としたものが多い。
70代を迎えた1950年代以降も精力的な活動を続けたが、
1973年4月、91歳の頃に母国・スペインではなくフランス国内で死去。
なお、1949年生まれの娘、パロマ・ピカソは
ジュエリーデザイナーとしての道を歩み出し、
イヴサンローランのジュエリーデザイナーとして活躍。
その後、アメリカのティファニーのデザイナーとしても活動した。
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