ジャン=ミシェル・バスキア(Jean-Michel Basquiat)

 
参考文献
the Estate of Jean-Michel Basquiat公式サイト
 


 
顔写真

 

まだ生きているのか?

既に死去

フルネーム

Jean=Michel Basquiat

性別

男性

国籍/出身

アメリカ

生年月日

1960年12月22日生まれ

没年

1988年8月12日(享年27歳)

宗教

キリスト教(カトリック)

 
 

不遇の少年時代 

 
ハイチ系の父・プエルトリコ系の母のもと、
1960年にアメリカ合衆国ニューヨークの中でも
特にアートとのゆかりが深いエリア「ブルックリン地区」で誕生。
 
幼少期から芸術の街・ニューヨークでアートに親しみながら育つ中で
自然とアートに興味をもつようになり、
母も彼に良い影響を与えようと思い、NYの有名美術館に彼を連れていく、
アートスクールに通わせるなどの英才教育を施すようになった。
 
一方で少年時代には母が家庭内暴力がひどい夫と離婚し、
10代半ばの頃には父とプエルト・リコにて一時期暮らしていたが
相変わらずDVがひどい父から逃れるため、家出を繰り返すようになった。
 
数年後にアメリカに戻ってからも家でを繰り返すが、
その度に父に見つかって連れ戻されるという地獄の日々が続いた。
(その地獄から気分に逃れるため、薬物に手を染めていくようになったと言われる)
 
 

18歳の頃にアーティスト活動を開始

 
 
その後、ひどい人格の父親から離れる事に成功したバスキアは、
18歳の頃から友人と共に「SAMO」というアーティスト名で
スプレーペインティング(落書きとも言える)という形で本格的な活動をスタートさせた。
こういった活動収入にはならない一方で自らがデザインした
ポストカードを売って生計を立てる生活の中でアンディ・ウォーホルなどと出会う。
 
 

1980年代前半から死まで

 
1982年頃に個展を通じてニューヨークにてアーティストとしてブレイクし、
 
その後、1983年頃からはカトリック信者という共通項があるNYアート界の巨匠、
アンディ・ウォーホル(1928年生)と行動を共にし、共作活動をするようになった。
 
1987年に師匠/盟友であるアンディが亡くなったのち、
薬物(コカインなど)中毒症状がひどくなっていき、1988年に27歳という若さで死去。
 
なお、この死に至るまでの薬物中毒に関しては、
アンディが亡くなった寂しさのほか、バスキアが成功しだすと
掌を返して再び有名な息子を追いかけ回すようになった父に関連する激しいストレスが関係しているとみられている。
 
 
死後、1996年には伝記映画「バスキア」がアメリカで公開される。
 
 
 

2010年代後半に日本での知名度が急上昇

 
日本ではそんなに知名度が高いアーティストとは言えなかったものの
2010年代に入ってZOZOTOWN創業者の前澤友作氏が
バスキアの事をとても気に入っていて作品を収集している事がメディアを通じて国民に伝わり、
前澤氏の知名度・影響力が上昇していく状況と共に
バスキアの日本における注目度も急上昇した。
 
 
2022年にはNetflixでウォーホルのドキュメント映像作品が公開され、
第4話でウォーホルとバスキアの共同制作に関する映像が公開された。
 
 
 
 

 
 


 
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