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アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)

 
参考文献
The Andy Warhol Museum公式サイト
 


 

出生名

Andrew Warhola

性別

男性

生年月日

1928年8月6日生まれ

没年

1987年

出身地

アメリカ・ペンシルヴァニア州

ルーツ

スロバキア

父親

Andrej Warhola

母親

Julia Warhola

評価/扱い

ポップアートの創始者

ポップアートの旗手

 
 
顔写真(左側/白髪と黒縁メガネがトレードマーク)

 

生い立ち/学生時代

 
ニューヨーク州に隣接するアメリカ北東部の
ペンシルヴァニア州・ピッツバーグにて1928年の夏に誕生(日本が昭和初期の頃)

 
なお、一家は東欧・スロバキアからの移民で、
アンディの上にはポール(Paul)・ジョン(John)という2人の兄がいる。
母親のジュリアはもともと芸術家であった。
 
1945年、生まれ育ったビーツバーグにある
現在のカーネギーメロン大学にあたるカーネギー工科大学に入学して絵画を学ぶ。
 
 

大学卒業後にNY移住

 
 
1949年に大学を卒業するとアーティストとしての成功を夢見て
ピッツバーグの約300km東に位置するニューヨーク州ニューヨークに移住。
 
そして、1950年代はイラストレーターとして活動した。
 
1952年に芸術家出身の母・ジュリアがピッツバーグからNYに移住し、
母親と共にニューヨークで暮らすようになり、
成功してからは母のアーディストとしての活動をサポート。
 
 

1960年代に活動の幅を広げる

 
 
売れっ子イラストレーターとしてのキャリアを経て
1950年代後半にイギリスでポップアートムーブメントが起きる中、
1960年代に入ると、この流れに注目してポップアート系の画家へと転身。
 
そんな中、日本でも有名なマリリン・モンローの顔に関する
カラフルな作品などが誕生し、ポップアートの世界で大きな注目を集める存在に。
 
 

 
 
1963年には映画製作の仕事にも進出し、

  • 「スリープ」(1963年)
  • 「エンパイア」(1964)・・・・長編無声映画
  • 「チェルシー・ガールズ」(1966年)

といった実験的作品を発表していく。
 
 
1968年には、前年の1967年に公開されたアンディの映画に出演した
人物に銃撃されて体に大きな傷を負ったが死には至らず、一命をとりとめた。
 
 
 

出版の仕事に傾向した1970年代

 
 
1969年にジェラルド・マランガという詩人と共に
「インタビューマガジン」(2018年休刊)という雑誌を創刊するなど
1970年代に入ると出版に関連した仕事が増えていき、
ニューヨークのセレブとの付き合いが増えていった。
 
具体的には、ネットフリックスの映像作品でも話題になったロイ・ホルストン、
そのホルストンの下石井知人であるライザ・ネミリといった人物と、
ニューヨークのディスコ等で親交を深める。
 
 
 
作家としては1975年に
「THE Philosophy of Andy Warhol」、
1976年に「The Andy Warhol Diaries」を発表。
 
 
 一方アーティストとしては1971年にローリングストーンズの
アルバム作品「Sticky Fingers」のカバーをデザインし、
こちらの作品はグラミー賞にノミネートされた。
 
 

晩年の1980年代(TVに進出/バスキアと行動を共にする)

 
 
晩年となる1980年代には、
前澤友作社長を通じて日本でも有名になった
ジャン・ミシェル・バスキア(ブルックリン出身/1960年生まれ)など、
若いNYアーティストの支援に力を入れ、彼らを力強くサポートしたほか、
それらの若いアーティストとのコラボも積極的に行った。
(晩年のウォーホルとバスキアは極めて深い仲であったと言われる)
 
一方、個人としては1980年代に入るとテレビの世界に興味を持つようになり、
音楽系チャンネルのMTVにて
1980年から1983年まで「Andy Warhol’s T.V. 」
1985年から1987年までは「Andy Warhol’s Fifteen Minutes」
という自身の番組を制作。
 
その他、あの「Saturday Night Live」に出演するなど、テレビの世界でも活躍。
 
晩年まで幅広く活躍していたウォーホルながら
胆のう手術成功後の予期せぬ心臓発作によって、
1987年2月22日にニューヨーク・マンハッタンの病院で死去。
58年の生涯を終えた。
 
なお、彼の死に大きなショックを受けたバスキアは薬物に溺れ、
それを追うようにして1年半後の1988年夏に27歳という若さで亡くなっている。
 
バスキアの顔写真

 
 
死後7年が経過した1994年、
彼の出身地であり埋葬地でもあるビッツバーグに、
ウォーホルの名を冠した美術館がオープン。
 
 
トム・フォードを始め、ハイファッション系のデザイナーの中でウォーホルの影響を受ける人物が多い事でも有名。
 
 
 
 


 
 
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