アンディ・ウォーホル(Andy Warhol)
参考文献
The Andy Warhol Museum公式サイト
出生名 | Andrew Warhola |
---|---|
性別 | 男性 |
生年月日 | 1928年8月6日生まれ |
没年 | 1987年 |
出身地 | アメリカ・ペンシルヴァニア州 |
ルーツ | スロバキア |
父親 | Andrej Warhola |
母親 | Julia Warhola |
評価/扱い | ポップアートの創始者 ポップアートの旗手 |
顔写真(左側/白髪と黒縁メガネがトレードマーク)
Photographer #RickyPowell died on February 1 at his home in the West Village of New York City. He took iconic images of #AndyWarhol, Jean-Michel Basquiat, the @BeastieBoys, @OfficialRunDMC, and countless others. https://t.co/V5KmFFKzZr
— The Andy Warhol Museum (@TheWarholMuseum) February 17, 2021
生い立ち/学生時代
ニューヨーク州に隣接するアメリカ北東部の
ペンシルヴァニア州・ピッツバーグにて1928年の夏に誕生(日本が昭和初期の頃)
。
なお、一家は東欧・スロバキアからの移民で、
アンディの上にはポール(Paul)・ジョン(John)という2人の兄がいる。
母親のジュリアはもともと芸術家であった。
1945年、生まれ育ったビーツバーグにある
現在のカーネギーメロン大学にあたるカーネギー工科大学に入学して絵画を学ぶ。
大学卒業後にNY移住
1949年に大学を卒業するとアーティストとしての成功を夢見て
ピッツバーグの約300km東に位置するニューヨーク州ニューヨークに移住。
そして、1950年代はイラストレーターとして活動した。
1952年に芸術家出身の母・ジュリアがピッツバーグからNYに移住し、
母親と共にニューヨークで暮らすようになり、
成功してからは母のアーディストとしての活動をサポート。
1960年代に活動の幅を広げる
売れっ子イラストレーターとしてのキャリアを経て
1950年代後半にイギリスでポップアートムーブメントが起きる中、
1960年代に入ると、この流れに注目してポップアート系の画家へと転身。
そんな中、日本でも有名なマリリン・モンローの顔に関する
カラフルな作品などが誕生し、ポップアートの世界で大きな注目を集める存在に。
This Andy Warhol Marilyn Paint by Number Kit is designed for anyone to replicate Warhol's iconic Marilyn masterpiece. Get this unique gift: https://t.co/XuNT9V6OBT #AndyWarhol #warhol #MarilynMonroe #art #PopArt #PaintByNumber pic.twitter.com/V7w2KMU6FE
— The Andy Warhol Museum (@TheWarholMuseum) November 23, 2021
1963年には映画製作の仕事にも進出し、
- 「スリープ」(1963年)
- 「エンパイア」(1964)・・・・長編無声映画
- 「チェルシー・ガールズ」(1966年)
といった実験的作品を発表していく。
1968年には、前年の1967年に公開されたアンディの映画に出演した
人物に銃撃されて体に大きな傷を負ったが死には至らず、一命をとりとめた。
出版の仕事に傾向した1970年代
1969年にジェラルド・マランガという詩人と共に
「インタビューマガジン」(2018年休刊)という雑誌を創刊するなど
1970年代に入ると出版に関連した仕事が増えていき、
ニューヨークのセレブとの付き合いが増えていった。
具体的には、ネットフリックスの映像作品でも話題になったロイ・ホルストン、
そのホルストンの下石井知人であるライザ・ネミリといった人物と、
ニューヨークのディスコ等で親交を深める。
作家としては1975年に
「THE Philosophy of Andy Warhol」、
1976年に「The Andy Warhol Diaries」を発表。
一方アーティストとしては1971年にローリングストーンズの
アルバム作品「Sticky Fingers」のカバーをデザインし、
こちらの作品はグラミー賞にノミネートされた。
晩年の1980年代(TVに進出/バスキアと行動を共にする)
晩年となる1980年代には、
前澤友作社長を通じて日本でも有名になった
ジャン・ミシェル・バスキア(ブルックリン出身/1960年生まれ)など、
若いNYアーティストの支援に力を入れ、彼らを力強くサポートしたほか、
それらの若いアーティストとのコラボも積極的に行った。
(晩年のウォーホルとバスキアは極めて深い仲であったと言われる)
一方、個人としては1980年代に入るとテレビの世界に興味を持つようになり、
音楽系チャンネルのMTVにて
1980年から1983年まで「Andy Warhol’s T.V. 」
1985年から1987年までは「Andy Warhol’s Fifteen Minutes」
という自身の番組を制作。
その他、あの「Saturday Night Live」に出演するなど、テレビの世界でも活躍。
晩年まで幅広く活躍していたウォーホルながら
胆のう手術成功後の予期せぬ心臓発作によって、
1987年2月22日にニューヨーク・マンハッタンの病院で死去。
58年の生涯を終えた。
なお、彼の死に大きなショックを受けたバスキアは薬物に溺れ、
それを追うようにして1年半後の1988年夏に27歳という若さで亡くなっている。
バスキアの顔写真
Join @BOOMConcepts on 8/27 from 6–10pm for BOOM x Basquiat, an immersive evening of film, music, and visual art exploring the legacy of Jean-Michel Basquiat: https://t.co/QGk3Pflg79. Andy Warhol, "Jean-Michel Basquiat", 1982, ©AWF #Basquiat #Pittsburgh pic.twitter.com/4azK5cRoE8
— The Andy Warhol Museum (@TheWarholMuseum) August 7, 2021
死後7年が経過した1994年、
彼の出身地であり埋葬地でもあるビッツバーグに、
ウォーホルの名を冠した美術館がオープン。
トム・フォードを始め、ハイファッション系のデザイナーの中でウォーホルの影響を受ける人物が多い事でも有名。
関連人物
- バスキア・・・・・・晩年の盟友/同士
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