サルバドール・ダリ(Salvador Dali)

 
 
参考文献
ダリ財団公式サイト
https://www.salvador-dali.org/en/dali/bio-dali/
http://www.parfums-salvadordali.jp/jp/dali-perfume/genius-artist.html
 
 


 

生年月日

1904年5月11日生まれ

ボ年月日

1989年1月23日

国籍/出身

スペイン

Salvador Dalí Cusí

Felipa Domènech Ferrés

配偶者

ガラ/フルネーム=エレナ・イバノブナ・ディアコノワ(1894年生まれ)

 
 

生い立ちから1920年代

 
1904年春、隣国フランスからほど近いスペイン北東部のジローナで誕生。
1908年には妹のアンナ・マリアが誕生。
 
1910年からは父の考えのもと、フランス語を学び始める。
 
10代に入るとアーティストを志すようになり、
1920年に首都・マドリッドの美術学校へ入学。
 
美術を学んだあと1920年代はスペイン国内でアーティストとして活動。
一方で1926年にはフランスのパリを訪れ、憧れの先輩・ピカソとの出会いを果たす。
またルーブル美術館も訪れた。
 
 

1929年からパリで活動/妻と出会う

 
 
1929年には本格的にパリでの活動をスタートしたが、
その年の夏にはのちに妻となるガラ/ロシア出身という女性(会った時点では既婚者)と出会う。
その後、ダリは10歳年上の女性・ガラからの求愛を受け、ガラは当時の乙と離別。
 
1930年代よりシュールレアリズム派の画家として本格的にパリで活動。
 
私生活では1934年にガラとの結婚が成立。
以降、年上の彼女によるダリのキャリアのプロデュースがはじまる。
 
ガラプロデュースで活動の幅を広げる中、
1930年代最高峰の女性デザイナー、エルザ・スキャパレリとコラボするなどファッションの世界にも進出。
 
 

1940年代以降

 
戦時中の1940年から1948年までは夫妻でアメリカに居住。
(1940年にパリは敵国ドイツ軍に占領された)
 
活動の幅を広げる中、1941年にはジュエリーデザイン分野にも進出。
また終戦の年である1945年にはハリウッドにて映画の仕事にも進出。
 
8年間のアメリカ生活を経て、1948年にはフランスではなくスペインに戻る。
 
1950年代に入るとVOGUEなどの有料媒体に記事を執筆するなどライダー業にも進出。
 
 
1958年には長く連れ添ってきた年上の配偶者・ガラと
婚姻成立から約四半世紀後に結婚式を挙げる。
 
 

晩年

 
還暦を過ぎても1970年代まで精力的に活動。
 
1982年、10歳年上の愛妻・ガラが死去。
 
それ以降は穏やかな生活をおくるようになり、
1989年初頭、84歳で死去。
 
 
亡くなった時点ではピカソと比べると日本での一般的知名度は低かったが
2000年代半ばにおける爆笑問題の太田光をイメージキャラクターにした
生誕100周年回顧展などの開催を通じて
その奇抜なルックス(長い口髭など)が話題になり、死から長い時間が経過し、日本でも有名な画家となる。
 
 
 


 
関連人物
パブロ・ピカソ・・・・・尊敬するスペインの先輩画家
 
 
 

 

 
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