マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)
参考文献
https://eiga.com/person/70740/
シャネルの名作香水「No.5」を有名にした事でも知られるアメリカの女優
本名 | ノーマ・ジーン・モーテンソン Norma Jean(Norma Jean Mortenson) |
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生年 | 1926年 |
没年 | 1962年 |
父 | 不明 |
母 | グラディス・パール・ベイカー |
3人の配偶者 | ジェームズ・ドハティ ジョー・ディマジオ アーサー・ミラー |
生い立ち
日本でいうと昭和元年にあたる1926年6月、
アメリカ西海岸のカリフォルニア州ロサンゼルスにて、
ノーマ・ジーンという名前で誕生。
(エルトンジョンの名曲「キャンドル・イン・ザ・ウインド」の歌詞冒頭に登場するノーマ・ジーンとは彼女の事)
母親の子育て能力問題により、幼少期は何人かの里親を転々とする不憫な生活を送った。
不遇の時期を経て戦時中の1942年(当時16歳)、5つ年上の男性と結婚。
戦後にデビュー/1950年代前半にブレイク
戦後の1946年、モデル事務所と契約してモデルデビューを果たしたが、
その年のうちに女優に転身。
またこの年には4年前に結婚した男性と離婚。
しばらく低迷が続いだものの20代半ばを迎えた1952年にようやくブレイク。
そして1953年公開の「ナイアガラ」、
続く「紳士は金髪がお好き」「七年目の浮気」などを通じて男性層からの人気を不動のものとして
1950年代にアメリカにて一世を風靡。
私生活では1954年にアメリカ・プロ野球界のスター、
ジョー・ディマジオと結婚するもわずか1年で離婚。
(新婚旅行先はなんと日本で、東京の帝国ホテルに宿泊)
晩年(1950年代後半以降)
ディマジオと離婚した翌年にあたる1956年、
30歳を迎える年に劇作家のアーサー・ミラーと3度目の結婚。
30代に入っても女優業は好調で、
1959年公開の「お熱いのがお好き」などが大ヒットし、
ゴールデングローブ賞受賞なども果たす。
1960年代に入ると3番目の夫との関係に亀裂が入り、1961年に離婚。
その後は暗黒時代に入り、1962年8月に36歳という若さで死去。
死因に関しては睡眠薬の過剰摂取、または他殺など諸説あり。
モテモテの彼女には配偶者以外にも様々なセレブとの関係があったと言われ、
具体的には
- フランクシナトラ
- ジョンFケネディ
などが有名。
シャネルとの関係
生前、ある会見にて寝る時の服装を聞かれ、
「寝る時はシャネルのNo.5だけを身にまとう」という発言をする。
この名言は、ハイファッション界において、のちに伝説の言葉として語り継がれる事に。
なお、この名言は1954年2月にディマジオとの新婚旅行で日本を訪れた時、
宿泊先の帝国ホテルでの会見時に飛び出した発言。
シャネル公式チャンネル
Marilyn and N°5 (30" version) – Inside CHANEL
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