ヴィダル・サスーン(VIDAL SASSOON)

 
 
参考文献
VIDAL SASSOONブランド日本公式サイト
映画「ヴィダル・サスーン」公式サイト
 
 


 
 

 

性別

男性

肩書き

ヘアスタイリスト

生年月日は?

1928年1月17日生まれ

まだ生きているの?

2012年5月死去

出身地

英国

主な功績

1960年代におけるロンドンの若者文化を牽引

自身の名を冠したヘアケア商品ブランドを一代で世界的なものへと成長させた

 
 

初期キャリア(戦闘員としても活動)

 
前年に結婚したジャック・サスーン(父)、ベティ・ベリン(母)の息子として
1928年初頭にイギリスのロンドン郊外で誕生。
(ユダヤ系のルーツをもつ)
 
生まれて間もない1931年、3歳の頃に父が家から出ていき、
それが原因でヴィダルは叔母であるケイティのもとに寄せたが、
5歳の頃からはユダヤ系の孤児院で幼少期を過ごしはじめる。
 
第二次世界大戦が勃発した1939年には、ホルトという村に疎開。
 
 
戦時中の1942年、ホルトからロンドンに戻ると、
14歳頃の頃に美容師を目指してキャリアを歩み始める。
 
1945年前後には幾つかの店を転々とした。
 
 
 
20歳を迎えた1948年にはユダヤ人との関係が深いイスラエルに渡り、
戦闘員として活動。
 
 
1949年にロンドンへ戻ったのち、
1950年代からは美容師としての修行に専念するようになり、
「デュマス」や「ハウス・オブ・レイモンド」でキャリアを積む。
 
 

1954年に自身の店をもつ/1960年ロンドンの新文化を牽引

 
修行生活を経て1954年、26歳の時に
「ヴィダル・サスーン・サロン」という自身の店をボンドストリートに開店。
 
3年後の1957年、「マリー・クワント」のショーのヘアプロデュースを担当。
 
1960年代には、"ミニスカートの生みの親"マリー・クワントや、
ミニスカートを大流行させたモデルのツイッギーなどとタッグを組み、
当時、一世を風靡した「スウィンギン・ロンドン」と呼ばれる新文化を牽引した。
 
その他、1960年代にはパリコレのショーのヘアプロデュース、
有名女優のヘアプロデュースなどでも成功し、
1960年代半ばにはアメリカ・ニューヨークにも進出した。
 
 
海外で名声を高める中、40歳を迎える1968年には拠点をアメリカのニューヨークへと移す。
 
 

活躍の幅を広げる1970年代以降

 
 
一方、1969年には「ヴィダル・サスーン・アカデミー」を
地元のロンドンに開校し、1970年代からは後進の育成にも着手しだした。
 
 
1973年にはヘアケア製品のビジネスにも参入し、
その広告デザインをアンディ・ウォーホルに依頼。
 
1970年代半ばからはテレビのトーク番組のMCとして活躍するようになる。
 
 
 

晩年

 
1990年代あたりからは自身の名を冠したヘア系ブランドのオーナーとして、
日本の若い女性層の間でもお馴染みの存在に。
 
2009年には長年の功績が認められ、英国王室のエリザベス女王から
大英帝国勲章・コマンダーを受勲するまでになった。
 
2012年5月、自身の伝記映画の日本公開を目前にした時期に
アメリカ・ロサンゼルスの自宅にて84歳で死去。
 

 
 


 
関連人物
マリー・クワント
 
 
 
 
 

 

 
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