ロッキー青木(青木廣彰)
参考文献
https://www.jmca.jp/prod/teacher/1350
https://www.amazon.co.jp/dp/493146694X
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41277
本名 | 青木廣彰 |
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ふりがな | あおき・ひろあき |
生年月日 | 1938年 |
没年 | 2008年 |
享年 | 69歳 |
出身 | 日本 |
学歴/出身大学 | 慶應義塾大学 |
主な子孫 | スティーブ青木(息子/DJ) デヴォン青木(娘/モデル・女優) ユミ・ヌー(孫/モデル・歌手) |
初期キャリア
昭和13年生まれ。
東京出身。
学生時代にレスリング選手として活躍したのち、
1960年頃にアメリカへ渡り、飲食ビジネスの勉強を積む。
そして1964年、日本食レストラン「BENIHANA」をオープン。
卓越した経営センスや奇抜な演出を武器に店を大規模なビジネスへと育て上げ、
アメリカにおける日本食人気の火付け役に。
1970年代/1980年代
1970年代に入るとナイトクラブ事業など事業を多角化。
またもともとアスリートだった事もあり、30代に入ってアスリート活動を再開。
私生活では、スティーブなど3人の子供を授かった日本人妻と離婚して
1980年前後の時期にドイツ系の女性、パメラ・ヒルバーガー/Pamela Hilburger.と再婚。
1982年には再婚相手との間に、Devonという娘が誕生。
そのDevonは1990年代前半に13歳でモデルキャリアをスタートさせたのち、
身長165cmながら1990年代後半にカール・ラガーフェルドなどの
世界的なデザイナーに気に入られ、2000年前後のパリコレのショーモデルとして活躍。
特に世界最高峰の高級ブランド、CHANELのモデルとして活躍したため、
2000年前後の時期には「デヴォン青木」の父として注目を集めた。
1986年、会社をナスダックに上場させる。
1999年、汚職事件(インサイダー問題)を起こすも、
健康問題により刑務所行きは免れる。
晩年
健康問題を抱えて晩年は静かに過ごす中、
2001年にNYで活躍してきた日本人ビジネスウーマン、小野恵子と結婚。
(晩年には3番目の妻と、自身の子供達の間で後継者問題のトラブルが発生)
2008年、ガンにより69歳で死去。
死後、最後の妻であるがレストランを経営権を継承し、
BENIHANA OF TOKYOのCEOとして活躍。
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ロッキー青木家の家系図
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