アドルフ・ダスラー(Adolf Dassler)
参考文献
https://www.adidas-group.com/en/about/history/
https://www.adidas-group.com/en/about/profile/
https://about.puma.com/en/this-is-puma/history
こんな人向けのページ
- adidas創業者の事が知りたいのでおしえてください
- adidasという会社/ブランドの歴史・沿革を知りたい
- adidas創業者とPUMA創業者の続柄や仲たがいのいきさつを知りたい
フルネーム | Adolf Dassler |
---|---|
略称 | Adi Dassler |
国籍/出身 | ドイツ |
生年月日 | 1990年11月2日生まれ |
父 | Christoph Dassler |
母 | Paulina Dassler |
兄弟 | Rudolf Dassler(次男)・・・・のちのPUMA創業者 Fritz Dassler(長男) Marie Dassler(長女) |
生い立ち/兄弟でビジネスをしていた時代
ドイツのニュルンペルグ近郊の街で1900年に誕生。
父親も母親も繊維・アパレル系の仕事をしていた背景をもつ。
もともとサッカーなどのスポーツ好きの若者であった。
そんなアドルフは20代前半だった1924年に兄のルドルフと共にGebrüder Dassler Schuhfabrik(直訳=ダスラー兄弟シューズファクトリー)を設立。
1930年代半ばまでは弟の関係がうまくいっていたが、
第二次世界大戦中に徴兵問題が絡んで関係が悪化。
関係が修復される事はなく戦後の1948年に兄は共同事業から離脱。
そして独立した兄はPUMAの前身となるRUDA/Schuhfabrik Rudolf Dasslerという会社を同年設立した。
兄と離別して1949年アディダス社を設立
1949年8月、「Adolf Dassler adidas Sportschuhfabrik(アドルフダスラー"adidas"スポーツシューズ工房)」を設立。
創業当初からおなじみの3ストライプができあがる。
1950年代から1960年代前半にかけて、まずサッカーシューズに関する事業を成功させ、会社を大きく拡大させる。
その後、陸上競技・テニスといった分野のシューズ開発にも進出。
1970年にはFIFAサッカーワールドカップに、靴ではなく「公式球」を提供し、
これによりサッカー界におけるポジジョンを確固たるものにする。
1970年代半ばには、さらに幅広い分野のシューズ開発/製作に進出。
1970年代に死去して妻に経営を託す
一代で世界的なスポーツシューズ企業を作り上げたのち、
1978年9月6日、77歳で死去。
(袂を分かった兄のルドルフも1974年に死去)
息子のHorst Dasslerからの支援を受ける妻のKätheに
アディダス社の経営を継承した。
アディダス社のその後
1980年には経営を引き継いだアディの妻・Kätheがに亡くなったほか、
アディとKätheの息子であるHorstも1989年に若くして死去。
残されたアドルフ/Kätheの娘たちはアディダス社の株式を1990年に売却したのち会社から離れ、
アディダスという会社は創業家の手から離れる。
その後、優秀者な外部経営者が会社の経営を継承していき、ビジネスをさらに拡大。
2000年代に入ると日本の山本耀司(世界的パリコレデザイナー)とのアパレル商品協業が決まり、
モードとスポーツの融合をテーマとした「Y-3(adidas Y-3)」という高級スポーツカジュアル衣料ブランドを2003年にスタート。
このY-3を通じてパリコレやNYコレクションに進出し、
「高級スポーツカジュアルウェア」の分野でも、
ライバルのNIKEを上回る世界最高峰の存在になる事に成功。
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