株式会社豊田自動織機(株式会社豊田自動織機製作所)
参考文献
https://www.toyota-shokki.co.jp/company/history/index.html
https://www.tcmit.org/research/toyodasakichi/
https://www.toyota-shokki.co.jp/company/data/index.html
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/data/conditions/company/group/profiles.html
トヨタ自動車の源流になっていて、
現在でも
- 繊維・アパレル企業(織物関連企業)
- 自動車関連企業
という2つの顔をもつ特殊な企業、
豊田自動織機の複雑な歴史を簡単に解説。
株式会社豊田自動織機の概要
創業者 | 豊田佐吉 |
---|---|
創立年度 | 大正15年 |
設立当初の企業名 | 株式会社豊田自動織機製作所・・・・・2001年に現社名となる |
本社所在地 | 愛知県刈谷市豊田町 |
2023年時点での事業内容 | 繊維機械 産業車両 自動車・自動車部品の製造・販売 |
「豊田」の読み方 | 会社沿革によると、"豊田"のもともとの読み方は「とよだ」。しかし1987年に「とよた」へと変更 |
トヨタ自動車との関係 | 現トヨタ自動車はもともと、この会社内の「自動車部(部門)」という扱いだった。それが独立・分離されて1937年にトヨタ自動車工業が誕生 |
トヨタグループのグループ一覧ページでは、
- デンソー
- トヨタ車体
- 豊田通商
- 豊田合成
- 日野自動車
- ダイハツ
などを押しのけ、一番上に記載されている重要な企業。
株式会社豊田自動織機の歴史
創業者の豊田佐吉は江戸時代末期の1867年生まれ。
愛知県に面した静岡県湖西市にあたる地域の出身。
少年時代から発明家に憧れ、
故郷が繊維・織物業で盛んな地域だった事に由来し、
画期的な織機(しょっき)の発明に挑むようになった。
そして、20代前半の頃から次々に画期的な織機を発明していき、
1920年代半ばには息子・喜一郎などの尽力もあり、
豊田式自動織機の開発に成功。
その織機を大量生産・販売するため、
1926年に「株式会社豊田自動織機製造所」を設立した。
1930年に創業者の佐吉は死去。
その後、息子で株式会社豊田自動織機製造所職員の豊田喜一郎は
1933年にもともと個人的に念願だった「自動車」の製造を始めるべく、
織機会社である株式会社豊田自動織機製造所内に自動車製造部門を設立。
それはのちに同社の「自動車部」へと発展。
その後、乗用車・トラックの試作に成功し、
自動車部を分離・独立させる形で喜一郎はトヨタ自動車の前身、
トヨタ自動車工業株式会社を設立。
また1940年には株式会社豊田自動織機製造所から
製鋼部が新たに分離・独立し、豊田製鋼株式会社が設立された。
幾つかの部門が切り離されたのち、
株式会社豊田自動織機製造所は1949年に株式公開し、上場企業に。
1955年、車両部を新設。
乗用車ではなく産業車両(フォークリフト・トラクター)などの事業に傾倒していき、1967年には産業車両月産1000台を突破。
(わずか6年後の1973年には産業車両月産3000台を突破)
1985年、フォートリフトの累計生産台数が50万台を突破。
2001年、社名('商号)を「株式会社豊田自動織機」へと変更。
現在は織機系企業から転換して車(産業車両)系企業の側面が強くなっているが
小規模で「繊維機械」部門も継続しており、
- 織機(エアジェット織機)
- 紡機(高速リング精紡機/高速粗紡機)
製造・販売も展開している。
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