イザベラ・ブロウ(Isabella Blow)
フルネーム/本名 | Isabella Broughton |
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性別 | 女性 |
国籍 | 英国 |
生まれ年 | 1958年 |
没年 | 2007年 |
肩書き | 雑誌編集者 ジャーナリスト |
スタイリスト |
イザベラ・ブロウの顔写真
【#イザベラ・ブロウ】
— 映画『マックイーン:モードの反逆児』 (@McQueen_Movie) March 16, 2019
🇬🇧英国生まれ。アメリカでヴォーグのアナ・ウィンターに見出され、助手に。撮影を通じてアンディ・ウォーホルやバスキアと交友。帰国後、タトラーの編集を経てUK版ヴォーグへ。2007年、ガンの闘病中に自ら命を絶つ。
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学生時代/ニューヨーク時代
1958年の秋にロンドン中心部のウエストミンスター地区にて誕生。
少女時代・10代後半までを母国で過ごしたのち
1979年に渡米してアートを学ぶためにニューヨークのコロンビア大学に入学。
その後、テキサスに渡り、その地で最初の結婚相手である英国人男性・
Nick Taylorと出会う。
そのニックテイラーとニューヨーク旅行をした際、
VOGUE編集部のアナ・ウインターを紹介され、
アナのアシスタントとして働くようになった。
(この時点でアナはまだVOGUE編集長ではない)
VOGUEアメリカの編集者として働く中で、
晩年のアンディ・ウォーホールや
そのアンディの晩年に行動を共にしたバスキアといった
ニューヨークのトップアーティストとの付き合いができた。
1986年にイギリスへ帰還
VOGUEアメリカ編集部で沢山の経験を積んだのち、
1986年には「Tatler」というファッション誌のスタッフとして働く事になってイギリスに帰国。
(その頃にはアメリカに住む初婚相手と別れていた)
帰国後、Detmar Blow(デトマ―・ブロウ)という年下の男性と出会い、1989年に再婚。
1990年代前半にマックイーンを発掘
Tatlerのファッションディレクターとして活動したのち
1990年代前半にはVOGUEイギリス版(VOGUE UK)の編集部で働いていた中、
アレキサンダー・マックイーンのセントマーチンズ卒業コレクションを強く気に入り
VOGUE UKを通じて彼をフィーチャーして彼を一躍スターダムにしのあげる。
その他、フィリップ・トレイシー(帽子デザイナー)なども発掘する。
マックイーンで出会ってからは約10歳年下の彼と
公私を共にする親子のようなパートナーとなっていったと言われる。
🇬🇧帰国後、名門セント・マーチンズ美術大学に入学。卒業コレクションで人生が変わる。ヴォーグの編集者だった #イザベラ・ブロウ が彼の作品に惚れ込み、夫のデトマー曰く「彼をトップにする」と決意したのだった。
— 映画『マックイーン:モードの反逆児』 (@McQueen_Movie) March 16, 2019
🦋卒業コレクション「獲物を狙う 切り裂きジャック」 pic.twitter.com/K1JstrJt1c
晩年(2000年代以降)
晩年はファッションアイコンとして活躍。
2004年にはDetmar Blowとの離婚を経験。
2007年5月、がん闘病中に48歳という若さて死去。
のちに死因は薬品の過剰摂取と判明したが、正確には自殺だとみられている。
彼女の死など2000年代後半にたくさんのショッキングな出来事を経験した
マックイーンはその後、2010年初めに自宅で自殺した。
2010年代にはマックイーンの自伝的映画
『マックイーン:モードの反逆児』が公開され、
彼にとって必要不可欠だった存在としてイザベラの生前の映像が劇中で多数使用された。
それによって日本において業界人だけでなく幅広い人々がその名を知る存在となった。
関連人物
- アナ・ウインター・・・・・元上司
- アレキサンダー・マックイーン
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