田中杏子(Ako Tanaka)

 
 

 
 

ふりがな(読み方)

たなか・あこ

生年月日

非公開

出身

大阪府

 
 

初期キャリア(スタイリストから編集者に転身)

 
大阪府出身。
 
10代半ばの頃からスタイリストになる事を目指しだし、
18歳の頃に、渡英してイタリアのミラノで3年間に渡ってファッションを学んだ。
 
学校を出てからすぐに帰国する事はなく現地で職探しをし、
イタリア国内でスタイリストとして雑誌や広告に関わる。
 
6年間に渡るイタリア生活を経て20代半ばの頃に日本に帰国してからは
フリーのスタイリストとして日本での活動を開始。
 
地道な営業活動の中で「流行通信」「フィガロ」などの仕事を経て
フランスの高級ファッション誌・ELLEの日本版にあたる
ELLE JAPONの契約スタイリストなどとして活躍した。
 
スタイリスト時代を経てアメリカ・VOGUEの日本版である
「VOGUE NIPPON(現在のVOGUE JAPAN)」
から編集者として活動してほしいとていうオファーを受けて編集者に転々し。
そして、創刊まもない「VOGUE NIPPON」にスタイリストとしてではなく
編集者としてかかわるようになった。
 
 

2007年からはNUMERO編集長として活躍

 
2005年にはフランス発祥のモード誌「Numero」の日本版創刊にあたって
この雑誌の編集長になってほしいというオファーを創刊元から受け、受諾。
そして2007年に「Numero Tokyo」を創刊。
(出版元はもともとの会社から扶桑社へと移管) 
 
以降、スタイリストとしてのキャリアなどを活かして
Numero Tokyoを若い女性層に大人気の高級誌へと育て上げ、
この雑誌にとって、なくてはならない女性編集長となる。
 
 
 

近年の活躍ぶり

 
 
日本国内で雑誌の編集をするだけでなく、
世界のコレクションを観覧しに行く中でますます人脈が広がり、
その人脈を通じてますますNumero Tokyoを成長させ、
近年では国内最高峰の女性編集者の1人としておなじみ。
 
人柄の良さでも知られ、田中氏にいたする敬意を口にする業界人・モデルタレントも多い。
 
 
 
 


 
関連人物

  • 斎藤和弘・・・・・田中氏がVOGUE編集部に在籍していた頃の編集長
  • 渡辺三葉子・・・・・田中氏と並ぶ敏腕女性編集者。VOGUE JAPAN編集長として長く活躍。

 
 
 
 
 
 

 

 
 
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