VOGUEアメリカ版(VOGUE U.S.A)

 
世界中にネットワークをもつVOGUEの本家
 
参考文献
VOGUE USA/JAPAN公式サイト
 
 

VOGUE USAの歴史・概要

 
 
 
日本でいうところの明治25年にあたる
1892年に週刊誌として創刊したアメリカの高級ファッション誌。
 
1909年にコンデナスト社が買収し、1910年には隔週雑誌へとリニューアル。
 
もともとはイラスト系の雑誌であったが、
1914年からは写真も掲載していくようになった。
 
20世紀前半には当時のエドナ・ウールマン・チェイス編集長指揮のもとで国際化も進む。
また時が経つにつれて写真中心の雑誌へと変貌していった。
 
1960年代に入ってライバル誌「ハーパースバザー米国版」の
名物編集長として約四半期活躍してきたダイアナ・ヴリーランドが
新たな編集長に就任し、このカリスマ編集長の手腕により
VOGUE誌の規模・ステータスなどは飛躍的に向上。
このダイアナ編集長は在任中、たくさんのスターデザイナー、
ツイッギーなどのスターモデルを発掘し、
ミニスカート文化の普及などにも大きく貢献した。
 
 
1971年代はじめには
グレース・ミラベラがダイアナから編集長職を引き継ぎ、
以後、15年以上に渡って活躍。
 
1980年代前半にはライバル誌・ハーパーズから
イギリス人編集者のアナ・ウインターが移籍してくる。
(1980年代半ばにアナは英国にいったん帰国して英国版編集長として活躍)
 
1988年にはミラベラに替わって英国版編集長の
アナ・ウインターが本国・アメリカ版の新たな編集長に就任。
 
天才編集者・アナの手腕により、1990年代に入って
VOGUEアメリカの影響力はより強いものとなっていき、
世界ネットワークも広がる中、1999年には日本版も創刊。
 
2000年代に入ると、アナをモデルとするアン・ハサウェイ主演映画
「プラダを着た悪魔」が公開され、
アナのモード界での影響力はますます高まったほか、
VOGUE誌の地位もさらに向上。
 
 
フランスのELLEやライバルのハーパーズパサーを上回り、
ダントツ1位の規模・影響力を誇る。
 
 
 
 

主な歴代編集長

 

エドナ・ウールマン・チェイス

1914年から1951年

1963年から1971年:ダイアナ・ヴリーランド(フランス人)

1903年生まれ。Harper's Bazzarの編集長として約半世紀活躍したのち、1962年にライバル誌であるVOGUEの編集長に。1971年に退任。在任中はTwiggyを発掘してミニスカートブームを起こすなどの功績を残す。1989年に86歳で死去。

1971-1988:グレース・ミラベラ

1950年代前半にコンデナスト社入りし、1960年代てには編集長であるダイアナの右腕として活躍。1971年に編集長職を引き継いだのち、15年以上に渡って編集長として活躍。2021年に91歳で死去。

1988年から:アナ・ウィンター(イギリス人)

1949年生まれ。アメリカ人ではなく英国人。渡米してVOGUEなどの編集者として活動したのち、30代半ばだった1986年には母国に戻り、VOGUE英国人の編集長に。2年間英国人編集長を務めたのち、1988年にVOGUE本国版編集長に。以降、2023年時点で35年間も編集長に在任。ハイファッション業界の中で最高峰の影響力をもち、映画「プラダを着た悪魔」のモデルにもなった。

 
日本の雑誌に比べて編集長交代が少ない
 
 
 
 

 

 
 
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