角川春樹(Haruki Kadokawa)

 
 
参考文献
KADOKAWAグループ社史
https://group.kadokawa.co.jp/company/history/01.html
日本映画製作者連盟
http://www.eiren.org/toukei/1990.html
 


 
 

読み方

かどかわ・はるき

生年月日

1942年1月8日生

出身地

富山県

学歴/出身大学

國學院大学

職歴

角川書店2代目社長(1975-1993)

角川春樹事務所・社長(1995年から)

角川源義(角川書店創業者)

角川歴彦さんとの続柄

歴彦さんの実兄

 
 

生い立ち/初期キャリア

 
国文学研究者/俳人である
角川源義の長男として1942年(昭和17年)に誕生。
翌年には弟の歴彦氏が誕生。
(実母とは春樹氏/歴彦氏が幼い頃に離別したと言われる)
 
春樹氏が3歳を迎えた1945年秋、父の源義氏は「角川書店」という文芸書物系の出版を創業。
 
國學院大学の文学部を卒業した1965年、
父が経営する角川書店に入社。
(翌1966年には弟の歴彦氏も同社入り)
 
入社してから20代の若さで敏腕ぶりを発揮し、経営者として将来を嘱望される存在に。
 
 

1975年、父の死去により角川書店2代目社長に

 
1975年、父の源義氏が58歳の若さで亡くなると2代目社長に就任。
 
父が経営していた頃、角川書店は典型的な文芸出版社であったが、
「小説と映画のメディアミックス」
を積極的に行いはじめ、
1976年には横溝正史の「犬神家の一族」を映画化した(これが角川第一作)。
 
その後も「製作」というポジションで1980年前後の時期に
次々にヒット映画を生み出していき、角川書店の躍進を牽引。
 
1982年には大藪春彦原作作品の「汚れた英雄」にて映画監督業にも進出。
 
1990年には、監督作品「天と地と」が約50億円の興行成績を記録し、
第2位の「タスマニア物語(25億円)」に倍の差をつけ、
圧倒的な数字でその年の方が興行成績第1位に輝き、
出版業界のみならず、邦画界でも頂点に登りつめた。
 
 

1993年に逮捕/1995年に新たな出版社を設立

 
 
出版社の社長・映画監督として絶好調であった春樹氏であったが、
1993年に薬物事件にて逮捕され、社長職を解任される。
(それによって3代目社長の座には、春樹との確執から前年の1992年に角川書店から離脱していた実弟の角川歴彦氏が就任)
 
保釈後の1995年には「角川春樹事務所」という新たな出版社を設立。
 
1999年には「角川春樹小説賞」という文学賞を創設。
 
最高裁までもつれこんだ争った裁判の末、2000年に実刑が確定し、数年間の刑務所生活を送る。
 
2004年に仮釈放してからは出版/映画分野で
かつてのように精力的に活動するようになり、
2005年末公開の「男たちの大和 YAMATO(製作=角川春樹)」
は50億円の興行成績を記録し、
翌2006年の邦画ランキング第6位にランクイン。
 
出版分野では、女性ファッション誌に力を入れ、
ポップティーンやBLENDAといったギャル雑誌、
またアラサー向けの「美人百花」などを大ヒットさせてきた。
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
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