株式会社デサントの歴代社長一覧

 
参考文献
https://www.descente.co.jp/jp/company/history/
 


 
 

会社の歴史

 
1935年に石本他家男氏が前身の紳士服店「ツルヤ」を創業したのが起源。
1957年に「デサント」という名称のブランドが立ち上がり、
1961年に「株式会社デサント」へと社名を変更。
(1958年から1961年までの3年間はわずかな期間、社名が「株式会社石本商店」であった)
DESCENTEとはフランス語で「滑降」といったような意味合い。
 
海外スポーツブランドのライセンスビジネスなどで急成長し、
1997年時点では売り上げが1000億円を超える企業にまで成長していたが、
1998年にはドイツのadidasが日本法人を設立するのに伴い、
ライセンス契約が終了してしまい、売り上げの半数近くを占める大黒柱を失って経営危機を迎えたが、その後復活。
 
伊藤忠が会社の経営に大きくかかわってきた歴史をもち、
2019年の社長交代時期には創業家と伊藤忠の対立問題が大きく報道されていた。
 
 


 

歴代社長一覧

 
[注記]
創業者は1981年頃に一度わずかな期間、別の人に社長を譲った時期があるという非公式情報があるものの、その点も会社沿革等には公式的記述なし。
 
 

石本他家男(創業者)

1909年生まれ。子供の頃は野球少年。ツルヤを創業したのち1950年代に野球ユニフォームを開発、1968年には中日球団に採用され、一時は大半のプロ球団がデサントとパートナー関係にあった。1970年前後からは経営を多角化させ、1980年には会社を東証一部上場企業へと導いた。1982年までデサント社長を務めたのち、1982年に会長へと移行。1988年死去。

石本恵一(創業家)

創業者の息子で名前の読み方は「よしかず」。父である創業者が亡くなり、1982年に社長就任。そこから1994年まで12年間社長を務めた。1994年会長へ移行し、会長時代はadidasのライセンス打ち切り問題を経験。2008年からは最高顧問というポジションに。2012年、肝臓がんにより77歳で死去

飯田洋三(伊藤忠出身)

伊藤忠出身。会長となる石本恵一氏の後継者として1994年に社長就任

田尻邦夫(伊藤忠出身)

伊藤忠から送り込まれた2番目の社長。2002年から2007年まで社長を務めた。

中西悦朗'(伊藤忠出身)

伊藤忠からやってきた3人目の社長。2007年から2013年まで6年間社長を務めた。

石本雅敏(創業家)

創業者の孫。1962年生まれ。慶応大学を経て電通に入社。海外滞在時期を経て1996年にデサント入り。2012年に元社長の父親が亡くなったのち、翌2013年から2019年まで常務を経て社長を務めた。就任当時は19年ぶりに社長の座が創業家に戻って来た事が話題に。在任中の2018年にはテレビ東京系「カンブリア宮殿」に出演。

小関秀一(伊藤忠出身)

読み方は「こせき・しゅういち」。1955年生まれ。2019年6月に社長就任。1979年に東京外語大学を卒業して伊藤忠へ入社し、同社で常務・専務にまで昇進。その後、2019年4月に顧問として伊藤忠傘下のデサント入りし、2か月後の6月に社長となった。

 
 
 


 
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