イヴ=サン・ローランの主な功績
参考文献
https://ysl2023.jp/about
名前だけは日本でも有名ながら
いまいちどんな人物なのか知られていない傾向といわれる
パリのデザイナー、イヴサンローランの人生における偉業・功績とは?
プロフィール(偉業)
1936年にフランス領のアルジェリアにて誕生。
パリに渡り、若干17歳で現在の国際ウールマーク賞にあたる偉大な新人賞を受賞。
そして18歳になる年で若くしてクリスチャン・ディオールにて働きだす。
創業者のディオール氏が1957年に急逝すると、
若干21歳という若さでディオールの2代目デザイナーに就任。
なお、21世紀に入ってデザイナーの若返りが進んでからは
20代前半で世界的ブランドのデザイナーをマスされる例はなく、この偉業は伝説として語り継がれている。
1960年に徴兵義務でディオールを離脱すると軍隊生活に適応できず、軍からも離脱。
そんな中、パートナーと共に1961年、自身の名を冠したブランドを創業。
そして、オートクチュール/プレタポルテ両部門で長くパリコレのトップデザイナーとして活躍。
2002年に引退したのち、2008年死去。
主な功績
モードと芸術を融合させる | モンドリアンという画家の作品を柄として採用した「モンドリアン柄」を通じて、世界で初めてモード(前衛的ファッション)と芸術を融合させた。それにより芸術と比較して地位が低かったファッションという存在の地位が上がる |
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女性のパンツスタイル | パンツスタイルは男性のものとして扱われていた1960年代半ばからショーにパンツスタイルの女性モデルを登場させ、「女性のパンツスタイル」という服装を世界的に定着させた。 |
女性のタキシードスタイル | 結婚式で有名なタキシードは完全に男のものとして扱われていた中、女性向けのタキシード(スモーキー)スタイルを発表し、タキシードのイメージを変えさせた。なお2002年の引退ショーでもスモーキーに男性的なパンツ、そして蝶ネクタイを着用したモデルをショーに登場させた。今日の「ジェンダーレス」の潮流の原点とも言える。 |
Pコートを定着させた | もともとは男の船乗りのためのもとであったとされる男性的なハーフコート「Pコート」を女性達の間でも定着させた |
シースルースタイルの原点 | 女性が肌を出すのはご法度とされていた時代、女性の解放を志す彼はシースルーの作品を次々に発表。これが高級ショーでシースルーの作品が発表される潮流の原点の一つとなっている |
プレタポルテ市場を発展させた | まだオートクチュール全盛だった1960年代からプレタポルテの将来性の高さを予感し、プレタポルテ事業を本格的に開始、そして、日本の高田賢三やピエール・カルダン(同じくディオール出身)と共にプレタポルテ市場を開拓し、手頃な価格で幅広い女性が既製服を買える状況を作った |
アジア人のモデルに門戸をひらく | まだ白人モデルばかりがショーで重用されていた時代から、アジア人モデルをショーなどで起用し、アジア人モデルに対して門戸を開いた。具体的には高島三枝子・山口小夜子などがサンローランのショーにて活躍 |
[終着点] 女性の地位向上に貢献 | 様々な功績はあるものの、総合的には自身が存在する「女性」という存在を、ファッションを通じて解放する事に従事し、50年近いキャリアの中で女性の地位向上に貢献 |
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