文化服装学院のOB/OG(Part1/創立から1970年代)

 
参考文献
https://soen-award.com/soensho/works/
 


 
世界的なファッションスクールの一つで、
国内での有名卒業生輩出実績ダントツナンバー1の
文化服装学院に関して、文化裁縫学院として創立した1922年から
1970年代までの有名卒業生(出身者)一覧。
 
 

1960年代まで

 

小池千枝

1916年生まれ。長野の高校を卒業したのち1933年に上京し、文化裁縫女学校(のちの文化服装学院)に入学。2年後卒業してからは若干19歳にして同校の先生に。一時期の退職を経て戦後に学校に復帰して1951年にデザイン科長就任。その後、パリ留学で「立体裁断」の技術を覚えて帰国し、「花の9期生」の面々をはじめ、たくさんの有能な人材を育てた。1983年には文化服装学院の10代目学院長に。1990年から2002年までは名誉学院長として活動。

小篠弘子/コシノヒロコ

HIROKO KOSHINOデザイナー。1937年生まれ。三姉妹の長女。大阪から上京して文化に入学。妹とは違い在学中は装苑賞を獲れず、生涯を通じて悔しい想いをしてきたと言われる。卒業後もキャリア的に妹にひけをとっていたが、1980年代前半に入り、イトキンの支援を受けて遂にパリコレ進出

高田賢三(花の9期生)

1939年生まれ。まだ洋裁学校が男子を受け入れていない時代に一旦別の道に進んだが、文化が受け入れを開始したため上京して入学。在学中はジュンコに続いて1960年に第8回装苑賞受賞。1964年秋に松田光弘と共にパリに渡り、そのまま定住。1970年代からKENZOデザイナーとして約30年活躍。

松田光弘(花の9期生)

早稲田大学卒業後に文化入りした人物で、9期生のお兄さん的存在。卒業後は賢三と共にパりに短期滞在して1965年帰国。そしてニコル社を立ち上げて長く社長兼デザイナーとして活躍。

小篠順子/コシノジュンコ(花の9期生)

1939年生まれ。大阪から上京して文化入りし、1960年には第7回装苑賞受賞。卒業後は国内で活躍したのち、ライバル高田賢三の後を追って1978年にパリコレデビュー。そこから22年間に渡ってパリコレで活躍。

金子功(花の9期生)

PINK HOUSE創業デザイナーで、1980年代に発生したDCブランドブームの中心域存在。海外ではなく日本にて長く活躍。

北原明子/黒田明子(花の9期生)

「マインメイ」デザイナー。9期生の中では知名度低め

近藤淳子

詳しい在学期間は不明ながら1960年前後に文化で学ぶ。その後、賢三同様に渡仏し、1970年代に賢三がパリで本格的にビジネスをスタートすると、ビジネスパートナーとして大きく貢献。1990年に彼女が倒れて離脱すると、KENZOブランドは方向性を失い、2年後の1993年にブランド売却をしてLVMHグループ入りする事態にまで発展してしまった

豊口武三

1942年生まれ。1965年に文化のデザイン科を卒業したのちオートクチュールの道に。1980年には自身のブランド「TAKEZO」を立ち上げ、1985年からは東京コレクションに参加。

熊谷登喜夫

TOKIO KUMAGAIデザイナー。在学中の1968年、第24回装苑賞受賞。

山本耀司

YOHJI YAMAMOTOデザイナー。慶応大学卒業後に文化入りし、1969年に第25回装苑賞を受賞。さらに当時存在した遠藤賞もダブル受賞。1970年代は国内で活動したのち、1980年代に入って川久保玲と共にパリコレに参加し、以降、40年以上世界的デザイナーとして活躍。

小杉早苗

生年月日非公開のため卒業年度は不明ながら学院内で山本耀司など共に学ぶ。デザイン科を卒業したのち母校の専任教授に。2006年に学院長就任

前田徳子

1947年生まれ。1969年に文化を卒業。1970年代半ばに渡欧したのち、現地で世界的デザイナーとして活躍。その後、欧州を拠点として「TOKUKO 1er VOL」を立ち上げ、東京コレクションでも活躍。近年、レナウンの破綻により、自身のブランド事業がとん挫。

ピーコ(杉浦克昭)

服飾評論家兼タレント。詳しい在学時期不明。1945年生まれ。社会人生活を経験してから文化入りし、研究専門部を卒業。その後、しばらくはデザイナーとして働いていたものの、そのキャラクターに目を付けられ、1970年代半ばからはタレント兼服飾評論家としてテレビ界で活躍するようになった。

 
 
 

1970年代

 

ジン・カトー/加藤徹

ZIN KATOデザイナー。生年月日非公開。卒業間際の1973年に第33回装苑賞を受賞(当時の名前は加藤轍)。その後、ZIN KATOデザイナーとして国内で活躍

田山淳朗

1975年卒業。その後、山本耀司の会社で活躍したのち独立し、1990年代前半からATSURO TAYAMAデザイナーとして長くパリコレで活躍。またワールド社のレディースブランド事業の監修業でも活躍

津森千里

1976年卒業。イッセイミヤケグループのデザイナーとして活躍したのち自身のブランド設立。2000年代前半の毎日ファッション大賞グランプリ受賞を機にパリコレ進出。

小西良幸

通称ドン小西。津森千里などと共に学んだのち、YOSHIYUKI KONISHIやficce uomoのデザイナーとして1990年代半ばまで東京コレクションのトップデザイナーとして活躍。

甲賀真理子

1949年生まれ。1969年に入学して1970年代前半に卒業。その後、松田氏のニコル社所属デザイナーとなり、1980年代に「ZELDA(のちのMARIKO KOHGA)」で゛サイナーとして東京コレクションで活躍。

比嘉京子

沖縄出身。1953年生まれ。1975年に文化を卒業したのちワールド社のスタッフに。1985年の独立後、英国滞在を経てKYOKO HIGAデザイナーなどとして東京で活躍。

平子礼子

1971年にデザイン科を卒業。1990年代にREIKO HIRAKOデザイナーとして活躍

安部兼章

1954年生まれ。中央大学を卒業したのち文化入りし、ファッションデザイン科で服作りを学ぶ。卒業した1980年には第48回装苑賞を受賞。その後、KENSHO ABE(のちのKENSHO)を立ち上げ、東京のトップデザイナー。Jリーグ開幕当時は清水エスパルスの格好いいユニフォームが話題に。

菱沼芳樹(中退)

1958年生まれ。YOSHIKI HISHINUMAデザイナー。詳しい在学時期不明。中退者ながらベテランになってからは装苑賞審査員として活躍