ココ・シャネルの主な功績一覧
フランスの女性デザイナー、ガブリエル"ココ(愛称)"シャネル。
名前だけは有名ながら、一体どれほどすごい人だったのかはあまり知られていない中、
どんな事をしてきたのか知りたい人向けの情報。
世界最古の"デザイナー兼インフルエンサー" | 今でいうところの"インフルエンサー"というと、ココよりかなり前の人間であるマリー・アントワネットが元祖といわれているが彼女はデザイナーではない。今でいうところのマークジェイコブスやカール・ラガーフェルド、アナスイなど"デザイナー兼インフルエンサー"の元祖はココ・シャネルと言える(自身が作ったジャージドレスやシャネルスーツなとを自らモデルとなって着用し、自身が広告塔になった。この戦略であれば無駄な広告費もかからない) |
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女性の自立を促した | ココ・シャネルが生きていた頃のフランス女性は、男の収入頼りの人ばかりという状態。裕福な貴族女性は働く事なく暇を持て余していた中、インフルエンサーの彼女は自らの働く姿を通じて当時の弱い/頼りない女性達に自立を促した |
アクセサリーを発明 | 高級な装飾品を通じて自らの地位を誇示しようとする女性を嫌い、貴金属を使用しない装飾品を開発。自らがそれを身に着けて流行させた。これがいわゆる"アクセサリー"の発祥とされる |
リップスティックを発明 | スティック型の口紅がなかった頃、リップスティックを開発。今ではスタンダードなものとなった |
ポール・ポワレに続いて女性をコルセットから解放 | 女性をコルセットという腰をしめつける用具から解放したとされるのは、ひと世代上のポール・ポワレ。ココ・シャネルは1910年にビジネスをスタートさせたのち、ジャージ素材を活用したゆったりとしたドレスを生産し、きつくるしい服装から解放した |
シンプルで大量生産可能な商品(少品種大ロット)の開発 | 1910年代に安価なジャージ素材ドレスを国内で大ヒットさせたほか1920年代半ばにはシンプルな「リトルブラックドレス」を大量生産して全世界でヒットさせるなど、安価でシンプルな作品を通じて富裕層のみのものであった高級衣料を幅広い階級の女性達に広めた。例えば日本のユニクロはフリース鮭ッとを大量生産して国内て2000年前後に大ヒットさせたが、それよりはるか前に少品種大ロットのビジネスを成功させていたのは見事 |
黒い服を全世界で初めて流行らせた | 当時のフランスでは喪服などのイメージが強かった黒い服は日常服の色としてはNGであった。しかし前述のリトルブラックドレスを全世界でヒットさせ、日本の川久保玲や山本耀司(1980年代にパリコレ進出)より50年以上前に黒服をヒットさせ、黒という色に対するイメージを変えさせた |
シンプルな香水瓶 | 当時の香水商品とは装飾的なデザインの瓶を使用したものばかりであった中、リトルブラックドレスなどと同様、驚くほどシンプルなデザインの香水商品(No.5)を投入し、飾り気のない香水商品をヒットさせた |
若手芸術家の育成 | ファッション界の功績だけでなく当時の才能ある若手アーティスト(芸術家)を金銭的にサポートし、彼らの道を切り開いてきた |
デザイナーという職業の大幅な地位向上 | シャネルが生きていた頃のパリは富裕層とそれ例外の格差が激しく、それに関連して富裕層は、デザイナーを含めた一般層を下に見ていた時代。しかし彼女がデザイナーとして成功する中でデザイナーという職業の地位が大きく向上。富裕層たちはデザイナー達と対等に接するようになった |
復帰後に働く女性の正装(シャネルスーツ)を開発 | 第二次世界大戦後に女性の社会進出が進んだ中、15年のブランクを経て1954年に仕事復帰したココシャネルは、レディースウェアとは縁遠かったツイードという素材を活用したレディーススーツを開発し、全世界の働く女性達のビジネスウェアとして定着させた |
晩年まで働く | ココシャネルは1971年初頭に急死する直前まで現役のシャネルスタッフとして忙しく原いていた。年をとったからと言って引退して隠居生活に入るのではなく、生涯現役を貫いた姿勢に刺激を受けた現代の女性も多い |
その他、便利な「ショルダーバッグ」を開発したのもココという説もあり。ただしハンドバッグに長いストラップをつけたショルダーバッグに関しては誰にでも思いつきそうなアイデアのため、真偽は不明。
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