榊原定征(Sadayuki Sakakibara)
参考文献
東レ公式サイト内の各種公開資料
https://www.toray.co.jp/aboutus/history/90years.html
生年月日 | 1943年3月22日生まれ |
---|---|
出身地 | 愛知県 |
出身大学 | 名古屋大学 |
最終学歴 | 名古屋大学大学院 |
東レ社長在籍中の主な功績 | ユニクロを展開するファーストリテイリングと提携関係を結び、「ヒートテック」事業に大きく貢献すると共に東レに利益をもたらす 東レの経営危機脱却の立役者 |
主な職歴 | 東レ社長 東レ会長 経団連副会長/会長 関西電力会長 NPBコミッショナー |
顔写真
東レデータ改竄 経団連にも動揺広がる 東レ出身の榊原定征会長が「製造業への信頼」に懸念示したばかり https://t.co/1GWgzjthEv pic.twitter.com/2WNLnXydpR
— 産経ニュース (@Sankei_news) November 28, 2017
学生時代/初期キャリア
昭和18年(1943年)生まれ、愛知県出身。
1965年春に名古屋大学の工学部を卒業したのち、
同大学の大学院に進学。
大学院では応用化学を専攻し、
2年後の1967年春に名古屋大学の大学院を修了すると共に
当時の東洋レーヨン(のちの東レ)に入手。
50代前半を迎えた1994年、経営企画第一室長に就任。
1996年には取締役の一人に加わる。
1998年春には常務取締役、翌1999年春には専務取締役へと昇進し、
2001年春には代表取締役副社長に。
2002年から東レの社長として活躍
東レにとって激動の年となった2002年、
5年前の1997年に社長から会長に移行していた前田勝之助氏が
4月に現場復帰して「会長」から「会長兼CEO」に移行。
2か月後の6月には前社長の平井克彦氏(1997年から5年間の社長)が副社長に降格し、
それまで副社長だった榊原氏は「社長兼COO」というポジションに就任。
そこから2年間は
- 社長/COO=榊原定征
- 会長/CEO=前田勝之助
という2トップ体制がしばらく続く。
2004年に前田氏が再び現場から離れて「名誉会長」へと移行し、
榊原氏はCEOという職名も加わって「社長/CEO/COO」となる。
在任中の2006年にはファーストリテイリンググループとの
戦略的パートナーシップを結び、先方のヒートテック事業などを強力にバックアップ。
そして東レの当時の経営危機脱却の大きな立役者となった。
日本経済全体の中では、2007年に経団連の副会長に就任。
2010年に会長へと移行(しばらくCEOは継続)
8年間に渡って社長として活躍したのち、
「CEO」という役職は維持しながら「会長(会長/CEO)」へと移行。
後継者には日覺昭廣氏が就任したが、
2010年時点での日覺昭廣の役職は「社長兼COO」だった。
約1年後、榊原氏はCEOという役職からも離れて単なる会長になり、
CEOは新社長である日覺昭廣氏が継承。
これにより、2011年6月より
- 榊原定征=代表取締役会長/CEO→代表取締役会長
- 日覺昭廣=代表取締役社長/COO→代表取締役社長/CEO/COO
という体制へと移行。
2014年以降
2014年6月、東レにおいては
「代表取締役会長」から代表兼をもたない「取締役会長」に移行。
一方で経済界では経団連(日本経済団体連合会)の会長に就任。
その経団連会長職を2018年まで4年間務めた。
(経団連においては2018年春、会長職を経て「名誉会長」へと移行)
東レにおいては2015年4月、
「取締役会長」から「相談役最高顧問」へと移行。
最高顧問として2年間のの任期をまっとうし、
2017年には「相談役最高顧問」から「相談役」へとさらに移行。
東レとの関係は、それまでと比べて薄いものとなる。
その他、2017年からは
「2025日本万国博覧会誘致委員会」の会長としても活躍。
2020年には関西電力の会長に就任。
2023年からはプロ野球界のトップとして活動
80歳を前にして2022年末には日本のプロ野球を運営する
日本野球機構(NPB)の第15代コミッショナーに就任。
2023年には理系の化学/繊維分野とはまったく異なる
スポーツ組織のトップとして活動する事になった。
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