角川源義(Genyoshi Kadokawa)
参考文献
KADOKAWAグループ : 社史
https://group.kadokawa.co.jp/company/history/01.html
よみかた | かどかわ・げんよし |
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生年月日 | 1917年10月生まれ |
学歴/出身大学 | 国学院大学 |
肩書き | 国文学研究者 俳人 経営者(出版社) |
功績 | 井地台で角川書店を日本有数の文芸出版社へと押し上げた |
1945年に角川書店を設立/初代社長として活躍
大正6年(1917年生まれ)
富山県出身。
20歳前後の頃、国文学者で、その頃は国学院大学において教授として働いていた折口信夫に師事。
国学院大学を卒業したのち、第二次世界大戦出船直後の1945年秋、
出版を通じた日本文化の再建を目指して自らの名字を冠した「角川書店」という文芸出版社を創業。
一方で私生活では、太平洋戦争/第二次世界大戦の時期に初婚相手との間に
- 長女:真弓(1939年生/作家名=辺見じゅん)
- 長男:春樹(1942年生)
- 次男:歴彦(1943年生)
という子供をもうける。
(初婚相手とは短期間で離別したと言われる)
1949年(昭和24年)には「角川文庫」という文庫本レーベルを創設。
1952年(昭和27)年には全60巻に及ぶ「昭和文学全集」を発行すると同シリーズが大ヒットし、
日本における全集ブームを巻き起こした。
また同年には雑誌「俳句」を創刊する。
1956年には辞書(辞典)の世界に進出。
その他、1950年代から1960年代にかけて、
- 美術
- 世界史
- 詩
- 俳句
などの書物を次々に発行し、角川書店を大きな文芸出版社へと成長させる。
出版業界人として活躍する一方、
1956年には「ロダンの首―角川源義句集」を出版するなど、俳人としても活動。
1975年に死去/創業者死後の角川書店
1975年秋、58歳の若さで死去。
その後、角川書店の2代目社長には長男の角川春樹氏が就任し、
彼の「小説/映画のメディアミックス」戦略などが大成功し、
角川書店は日本屈指の総合出版社へと成長。
会社の成長と共に、その創業者として注目を集める事となった。
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