荒川眞一郎(Shinichiro Arakawa)
1990年代から2000年代の活動
1966年生まれ
繊維業が盛んな街として全国的に有名な
群馬県南部の桐生市で縫製工場を営む両親のもとで生まれ育ち、
日本の大学を卒業したのち1989年にフランスに渡り、
現地の名門服飾学校「ステュディオ・ぺルソー」で服作りを学ぶ。
2年後の1991年にはロンドンに渡り、
若くしてクリストファー・ネメスのアシスタントとして働きだした。
その後、独立して自身の名を冠したブランドを立ち上げ、
ブランド立ち上げの1993年には早くもパリコレ初参加。
1995年には東京コレクションに初参加。
ショーにはトップモデル達が多数参加し、
あのアンミカなどもショーにモデルとして出演。
しばらく国内活動が中心となっていたが、
1990年代末からは再びパリコレに参加するようになり、
世界的デザイナーの1人として活躍。
(東京コレクションへの参加も継続)
1997年には世界的2輪・4輪メーカーのHONDAとのコラボコレクションを発表。
そんな中、2000年には国内外で活躍する日本人若手デザイナーを
受賞対象とする毎日ファッション大賞の新人賞を見事に受賞した。
もともと
SHINICHIRO ARAKAWAはレディース専業ブランドだったが
2000-2001AWシーズンには自身のブランドのメンズラインも開始。
2010年代以降
2000年代半ばあたりからは
国内外のコレクションに参加しないようになったが、
その後は、自身がバイク好きだという事が関連し、
バイクウェアのデザイナーへと転身し成功している事が
2020年放送のBSテレ東「ファッション通信」にて報じられた。
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[海外系デザイナー]
<主な内容>
■詳しい経歴
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