エミリオ・プッチ(Emilio Pucci)
参考文献
エミリオ・プッチ公式サイト
https://www.emiliopucci.com/ja-jp/about
LVMH公式サイト
https://www.lvmh.co.jp/
ブランド名は大変有名ながら、シャネルのココ・シャネルと違い、
エミリオプッチは創業者の事を何も知らない人が多いと言われます。
そこで創業者の事を知りたい人向けに人物情報を紹介。
性別は? | 男性 |
---|---|
出身/国籍は? | イタリア |
生年月日は? | 1914年生まれ |
まだ生きてるの? | 1992年に死去 |
作風の特徴 | 華やかな色使い スポーティー |
エミリオ・プッチ氏の人生
1914年にイタリアのフィレンツェで誕生した上流階級の男性。
正式な名前は「エミリオ・プッチ バルセント侯爵」。
彼とその一族は欧州のリゾート地でスキーなどを楽しむスポーツ家系であった。
第二次世界大戦後の1947年に自身の名を冠したブランドを立ち上げ、
1950年、カプリに1号店をオープン。
彼の創り出す斬新なスキーウェアやスポーツウェア要素のあるリゾートウェアなどは
瞬く間に当時の女性達の間で人気を博し、世界的なデザイナーへと駆け上がる。
そして、「プリントの王子」と称されるようになった。
(創業から世界的なデザイナーになるまでのスピードはクリスチャン・ディオール並み)
その後、のちに「プッチ柄」として一般化する独特のカラフルなプリント柄を武器として
1960年代以降もどんどんブランドを成長させていき、
- マリリン・モンロー
- ソフィア・ローレン
- マドンナ
- ニコール・キッドマン
など、そうそうたるセレブ達に愛用される中で
デザイナーとしての地位もますます高まる。
晩年までグローバルに活躍したのち、1992年に70代後半で死去。
その後のプッチブランド
創業者が亡くなったのち、ファミリービジネスが行われていたが、
2000年にエミリオプッチは世界最大のコングロマリット、
ベルナール・アルノー率いるLVMHグループ入り。
それはブランドにとって良い転機になり、
世界的なデザイナーを外部から招へいできるようになったほか
ミラノコレクションで開催される大規模なショーを通じて
ますますブランドの価値は高まっていき、世界的な人気はさらに上昇している。
なお、近年ブランドのディレクターは数年単位で替わっている。
関連人物
- マッシモ・ジョルジェッティ(MSGM)・・・・・2015-2017のプッチディレクター
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