高田賢三


キャリア初期

 

 

高田賢三とは、

世界的に有名なLVMHグループの服飾系ブランド・KENZOの創業者。

 

1939年に兵庫県の姫路市にて生を受け、

イラストや宝塚歌劇団を愛する少年として育つ。

 

高校を卒業して大学に入ったが、

デザイナーを目指して東京に上京し、

文化服装学院という新宿の服飾系専門学校に入学。

 

そして、コシノジュンコ・松田光弘などの同級生と共に服作りを学ぶ。

在園中はコシノジュンコに続いて「装苑賞」というコンクールで優勝した。

 

卒業後は都内の会社で働いていたが、

そのうちにファッションの本場であるパリに行きたい気持ちが強くなり、

学校の同級生であった松田光弘と共に船旅でパリを目指す事になった。

 

長い船旅を経てパリに到着し、

松田氏はすぐに日本へと帰国した一方で、高田氏は現地に残る事を目指しだす。

 

そして、ELLEという雑誌にイラストの素晴らしさが認められ、

それがきっかけでパリに残って活動できるめどが付いた。

 

 

 

 

 


1970年代から90年代

 

長く続いた高級注文服(オールクチュール)の全盛期が終わり、

1970年代に入るとパリの世界では既製服(プレタポルテ)の時代が到来。

 

そんな時代に入った1970年にKENZOという自身の名を冠したブランドを立ち上げ、

1973年頃から世界的なファッションショーであるパリコレクションに参加し始める。

 

すると色彩豊かな高田氏の作品はシーズンを重ねるごとに高い評価を受けるようになっていき、

1980年代からは世界トップクラスの人気を誇るプレタポルテブランドにまで成長した。

 

 

しかし、1990年代に入り巨大ブランドが独立系ブランドを次々に買収する中で、

ルイヴィトン擁するLVMHグループはKENZOブランドの買収を申し入れる。

買収を受け入れてLVMHグループに入ってからも、1999年までデザイナーの座にとどまった。

 

そして、引き続きKENZOのデザイナーとして活躍し続けた。

 

 

 


2000年代以降

 

1999年秋にもってKENZOから完全に離脱したあとは、

パリに残り、画家や新たに立ち上げたブランドのデザイナーとして活動。

 

2010年代に入って、KENZOというブランドがアジア人デザイナーが就任してからは

ショーの現場にも度々訪れるようになり、健在ぶりが様々なメディアで取り上げられた。