山本寛斎(やまもと・かんさい)

1992年までのパリコレデザイナー時代


 

 

1944年2月生まれ。

親の離婚により、幼少期は幾つかの地方を転々とする。

 

その後、実の父と暮らすようになったが、

デザイナーを目指して上京し、コシノジュンコのアトリエなどで勤務。

 

そんな中、師匠のコシノジュンコが受賞したこともある

新人デザイナー向けの大型賞「装苑賞」に作品を応募したところ、

選考会にて高い評価を受け、1967年に同賞を受賞した。

 

1971年には英国のロンドンにて日本人デザイナーとして初めて

大きなファッションショーを開催し、それを大成功させる。

それを機にデヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョンなどとの交流が生まれていった。

 

その勢いでパリでのショーを開催したが、

酷評を受けたほか大きな借金を抱えて大きな挫折を経験。

 

 

しかし、娘の山本未来氏が誕生する1974年には環境を整えてパリコレに復帰。

そこからは三宅一生氏・高田賢三氏・コシノジュンコ氏などとと共に

世界的に高い評価を受けるデザイナーに成長し、

KANSAI YAMAMOTOブランドは世界的なものになった。

一方、衣装デザイン分野でもデヴィッド・ボウイとの仕事にて大活躍。

 

その他、ニューヨークや東京でもショーを開催していた。

 

 

しかし、もっと色々な事に挑戦してみたい気持ちが強くなっていき、

1992年にパリコレから撤退して、イベントプロデューサーに転身する事になった。

 

 

 

 

1993年からのキャリア


 

 

1993年にイベントプロデューサーに就任してからは、

世界各地にてファッションだけでなく様々な要素をもつ

大規模なイベント「KANSAI SUPER SHOW」を開催し、それぞれを大成功させた。

 

特に1993年に開催された

ロシア・モスクワの「赤の広場」で行われたショーなどが有名。

 

また1990年代後半からは日本においてタレントとしても活動し始める。

 

2000年代は国内でのプロデューサー・タレント業が中心となったが、2010年代に入ると再び世界各地で活躍するようになる。