エドワード・ホイヤー(Edouard Heuer)

 
クロノグラフ系スイス高級腕時計ブランドの最高峰、タグホイヤーの創業者。
 
 
参考文献
タグホイヤー公式サイト
https://www.tagheuer.com/jp/ja/ストーリー/history.html
LVMH公式サイト
https://www.lvmh.co.jp/ウォッチ-ジュエリー/tag-heuer/
 
 


 
 
 

初期キャリア(20歳で会社を創業)

 
1840年にスイスで誕生した男性。
 
エドワード・ホイヤー(当時、若干20歳)が1860年にスイスのサン=ティミエで
家族経営系の会社を設立。
これがタぐ・ホイヤーブランドの起源。
 
4年の1864年には会社をサン=ティミエからブルックに移し、
「エドワード・ホイヤー&カンパニー(Edouard Heuer & Compagnie)」
という新会社を新たに設立。
 
1867年にはベルン州のビールへと再び拠点を移転。
それから、会社は100年以上に渡ってこの地に留まる事となる。
 
 

1882年にポケットクロノグラフの大量生産を開始

 
1880年代には急速にスポーツ人口が増加していく中で
他界先見性を持つ創業者は、ポケットクロノグラフ(ストップウォッチ機能付き懐中時計)というアイテムの重要性に注目。
そして、この腕に留める形ではないポケットクロノグラフを1882年から大量生産。
この商品は国内で大ヒットし、スポーツマンにとって、
この会社のポケットクロノグラフを持っている事は大きなステータスとなっていった。
 
5年後の1887年には、当時としては画期的な
プッシュボタン付きの近代的クロノグラフを完成させた。
 
 

1892年に創業者死去

 
この年、多大な功績を残して創業者のエドワードは50代前半の若さで死去。
 
なお、この時点でもブランド名はまだ
「タグ・ホイヤー」にはなっていない。
 
 
 

20世紀前半にクロノグラフ腕時計の最高峰メーカーとなる

 
20世紀に入ってから全世界でスポーツはますます盛んになっていき、
競技の大会では1/100秒まで正確に計測できる計時装置が求められるようになっていく。
また、世界では懐中時計より便利な腕時計の時代へと移行していった。
 
そんな中、1914年にはまず首にぶら下げる形でなく腕に留める形の
「クロノグラフ腕時計」を開発。
(この当時、クロノグラフ腕時計とは、とても珍しい画期的な商品だった模様)
 
1916年には、創業者・エドワードホイヤーの息子である
チャールズ・オーガスト・ホイヤーが会社のトップに就任
ストップウォッチの計測機能を

  • 1/5秒
  • 1/50秒
  • 1/100秒

へと、どんどん細かくしていくプロジェクトを始動させた。
 
1920年代に入ると、スポーツにはタイム計測というものが欠かせない中、
精度の高いストップウォッチ付きの商品が様々な世界的競技大会で
計時装置として採用され、ホイヤー社は
陸上競技・モータースポーツなどタイム計測との縁が深いスポーツの世界では欠かせないの存在となっていく。
 
1930年代に入ってもクロノグラフ商品の開発を続け、
完全に世界のクロノグラフ腕時計をリードする存在へと成長。
 
ホイヤーブランドの保有ステータスが年を追うごとに高まる中、
1940年からは全てのダイヤル(文字盤)・内部のムーブメント
創業者の名前を短縮した「Ed. Heuer」というロゴを刻印するようになった。
 
 
 

モータースポーツの世界で絶対的な存在となった1960年代・1970年代

 
1958年、同族経営4代目となるジャックホイヤーが社長に就任。
この頃からは従来の腕時計の販売を打ち切り、
4代目の指揮でモータースポーツとの関係を深めていく。
 
そして、1960年代にはレースの世界でますます地位を高めたほか、
同じく1960年代には宇宙開発の世界でも重要な役割を果たした。
具体的には1962年アメリカ人として初めて軌道周回飛行を体験した宇宙飛行士が
ホイヤーのストップウォッチを使用。
またアポロ計画でも重要な役割を果たしている。
 
一方、モータースポーツの世界ではマリオ・アンドレッティ、ニキ・ラウダ
など当時のトップドライバーが皆ホイヤーのクロノグラフ商品を愛用している状況になり、
ブランドの地位はますます向上。
 
 
1969年には「モナコ」モデルなど世界初の自動巻クロノグラフ商品を投入。
その中でも特に「モナコ」が高い注目を集める。
 
1970年代に入ると計時装置としての性能が高いだけでなく、
デザイン性が高い商品もどんどん開発し、ファン層を広げた。
 
 
 

1985年に「ホイヤー」から「タグ・ホイヤー」に

 
1980年代に入るとクロノグラフ商品だけでなく、
ダイバーズウォッチの世界でも急成長。
 
1985年、TAG(Techniques d’Avant-Gardeの略)という
ビジネスグループの傘下入りし、ブランド名を
「ホイヤー」から「タグ・ホイヤー」へと改称。
 
 

1999年にLVMH入り

 
 
1990年代に入り、欧州の高級服飾/宝飾ブランドの世界では
LVMHなどによる巨大ファッション/腕時計の買収合戦が繰り広げられるようになる。
 
そんな中、例えば高田賢三創設のパリコレブランド
「KENZO」は経営が傾いた中でLVMHにブランドを売却し、
同グループの傘下に入るような事が起こった。
 
 
1999年、タグホイヤーは次々に買収を続けて巨大化する
ベルナール・アルノーの「LVMH」グループ傘下に入り、
巨大な資本をバックにつけた。
(2001年には4代目のジャック・ホイヤーが名誉会長としてブランドに復帰)
 
 
21世紀に入っても次々に高い性能の

  • クロノグラフ商品
  • ダイバーズウォッチ

を発表し、この2分野での地位をさらに高めた。
 
 
2020年にはぺルナール・アルノーの息子/三男である
当時25歳のフレデリック・アルノーが、
タグ・ホイヤーの新たなCEOに就任。
 
ベルナール・アルノー後継者候補の一人でもある
フレデリックがブランドを率いる中、今後さらなる発展が期待される。
 
 
そんなブランドの創業者は、クロノグラフの発展に大きな寄与した人物として業界内で強くリスペクトされている。
 
 


関連ページ
フレデリック・アルノーの経歴
ベルナール・アルノー